私の研究室

この文章は  「生産と技術」2011新年号 (Vol.63, No.1, page 45) に掲載されたものを、
ヒッグスボゾンの発見(2012)後の進展を取り入れて更新したものです。

1. 私たちの研究室

 自然界を構成する基本物質は何なのか、それらはお互いにどのように相互作用しあうのか、 見えない基本粒子をどのようにして見るのか、隠れた力をどのように見極めるのか、 自然現象、宇宙現象はすべて理解できるのか、宇宙の誕生から今日までの歴史は 説明できるのか、素粒子物理学はこれらの問いに答えます。私たちの研究室もしかり、これらの問いかけを追いかけています。
 私たちの研究室は、豊中キャンパス、理学研究科物理学専攻の建物H棟の7階にあります。典型的に、大学の研究室のユニットは教授+准教授+助教+研究員+大学院生で構成されますが、素粒子論研究室は3つのユニット(大野木研究室、橋本研究室、細谷研究室)が合体して一丸になって教育研究活動に従事しています。40人近い大所帯です。

2. 法則を探求する

 現在の素粒子の標準理論によると、自然界の基本構成粒子はクォークとレプトンであり、 少なくとも5つの相互作用があります。その相互作用とは、重力、電磁相互作用、 強い相互作用、弱い相互作用、それにヒッグス相互作用で、最初の4つは 直接的に確認されていますが、ヒッグス相互作用だけはまだ完全にはわかっていません。 このヒッグス相互作用とそれを媒介するヒッグスボゾンを直接発見、検証する実験がスイスのジュネーブ近郊にある研究所CERNの大加速器LHCで行われました。 2012年夏、ヒッグス粒子(ヒッグスボゾン)が発見されました。現在、加速器LHCのエネルギーを上げる作業がなされており、 2015年には、エネルギーを13TeV から14TeVにして、実験が再開されます。 今のところ、全ての実験結果は標準理論と無矛盾です。
 では、現在の標準理論と言われるものは、それで最終のものでしょうか。答えは、多分にNOです。私は、標準理論のほころびがヒッグス粒子の起源に最初にでると推測しています。これから始まる14TeV LHCの実験で、新粒子も出現するはずです。 様々な可能性がある中で、私は ヒッグスボゾンがゲージ場と高次元時空で統一される可能性も探っています。 良く見れば、我々の時空には5次元目、6時次元目と言った余剰次元があり、ゆくゆくは、素粒子がひも状になっているのがわかってくるのではないか。このような描像をフィクションとしてではなく、サイエンスとして確認する、その手がかりが、これから5年の内に見つかるかもしれないのです。

3. 全ては簡単に、そして美しく

 自然の根源を記述する物理の法則は簡単明瞭です。これは、我々物理屋の信念ですが、これこそ、我々を物理へ、物理的思考へ駆り立てる原動力です。物理の法則を記述するには「言葉」が必要です。それは、数学を使った表現です。誰もがわかる訳ではありませんが、「基本言語」さえマスターすれば、物理法則はいたって簡単になります。アインシュタインはそれを「美しい」と表現しました。
 すくなくとも4つの力があることが確認されています。強い相互作用、電磁相互作用、弱い相互作用、そして重力です。このうち、電磁相互作用と弱い相互作用は統合されて電弱相互作用となります。大統一理論では強い相互作用も統合されます。重力をも組み入れるには、超弦理論が必要だと考えられています。
 強い相互作用はQCD(量子色力学)というSU(3)ゲージ理論で記述されます。これに対し、電弱相互作用はSU(2)xU(1) ゲージ理論で記述されることが、ほぼ検証されています。19世紀後半より、電磁相互作用がマクスウェル理論というU(1) ゲージ理論で記述されることは良く知られていました。QCDや電弱統一理論はこのマクスウェル理論を拡張したものになっています。

4. 力の統合とヒッグスボゾン

 電弱統一理論はほぼ確立されています。電弱統一理論の最後の粒子、ヒッグスボゾンが2012年に発見されました。 何故、ヒッグスボゾンが必要なのでしょうか。
 力の統合、つまり異なる相互作用の統一は、素粒子論の世界では、隠れた対称性を見つけることによって成し遂げられます。もう少し具体的にいうと、電磁相互作用は光子(光の粒子)によって媒介されます。この光子は、ゼロ質量の粒子で、いつも光速度で伝播します。それに対し、弱い相互作用はWボゾンとZボゾンによって媒介されます。WボゾンとZボゾンはそれぞれ陽子の90倍、100倍ほどの質量を持つ重い粒子です。電磁相互作用と弱い相互作用を統一するということは、もともと、WボゾンとZボゾンは光子と同じようにゼロ質量であったが、それがダイナミックスのおかげで大きな質量を持った粒子になると考えます。対称性の言葉でいうと、もともとSU(2)xU(1)の対称性があったが、それが、U(1)対称性にまで「自発的に破れる」と考えるのです。標準理論ではこの対称性の自発的破れは「ヒッグスボゾン」によって引き起こされると想定されています。だから、ヒッグスボゾンが必要なのです。

5. 真空は空っぽでない

 このとき、ヒッグスボゾンは宇宙にどっかり海のように埋まっていると考えねばなりません。つまり、真空は空っぽではないのです。素粒子の世界の真空は、媒質であって、この媒質が対称性を自発的に破っているのです。
 力の統一、対称性の自発的破れ、そして真空が空っぽでないこと、これらの概念、場の理論による記述、自然界における実現を明らかにされたのが南部陽一郎先生で、2008年、ノーベル物理学賞を受賞されました。南部先生は大阪大学特別栄誉教授として 私たちの研究室におられます。図1の写真は南部先生が2009年5月に大阪大学理学研究科でノーベル賞受賞記念講演をなさった時、研究室で撮った集合写真です。

図1 南部先生ノーベル賞受賞記念講演会(大阪大学理学研究科 2009年5月13日)のおりに研究室にて

6. 鍵はヒッグスボゾン、その向こうには

 上に述べた電弱統一理論はゲージ相互作用の部分は高い精度で既に検証されています。しかし、統一の要となるヒッグスボゾンの 性質は、実験が始まったばかりで、おおまかなことしか、わかっていません。今のところ、すべて標準理論と "consistent" (矛盾が ない)ですが、ヒッグスボゾンとクォーク・レプトン、Wボゾン、Zボソンとの結合定数の大きさ、あるいは、ヒッグスボゾン自身との 自己相互作用の仕方は、実は、標準理論から少しずれているのかもしれません。
 現在の標準理論におけるヒッグスボゾンには、いろいろと不自然な点があります。光子、Wボゾン、Zボゾンに比べると任意性が多く、基本となる原理がないのです。本当に標準理論は正しいでしょうか。ヒッグスボゾンを見つけ、その性質を調べることは現在物理学の最重要課題の一つです。このヒッグスボゾンの性質を決める 14TeV LHC実験や、将来建設されるであろう ILC 実験は、 統一理論の確立の上で必須のことです。

7. 我々の時空に5次元目がある

 私は、我々の時空は4次元だけでなく、5次元目があり、ヒッグスボゾンは実は光子、Wボゾン、Zボゾンの仲間で、ゲージボゾンの5次元目成分そのものであり、ゲージ相互作用の結果、対称性が自発的に破れるという理論を1983年に発表しました。当時は、どのように左右非対称な「カイラル」フェルミオンをいれたらいいのかわからなかったのですが、20年の後、多くの研究者の努力により、現実的な理論を書き下すことができるようになりました。それが、ゲージヒッグス統合理論です。
 観測実験からの制約を考慮して作りあげたものがSO(5)xU(1) ゲージヒッグス統合理論です。驚くべきことに、詳しい計算をしてみると、ゲージ相互作用の部分は標準理論とほぼ同じで、8TeV のLHC実験を含めて、エネルギー・スケールが 2TeV 以下では、 SO(5)xU(1) ゲージヒッグス統合理論と標準理論にはほとんど差がでないことが判明します。 しかしながら、もう少しエネルギーを上げて、5TeVから 10TeV の領域になると大きな違いが見えることが わかります。5次元目という余剰次元が見えてくるのです。

8. 謎の2粒子の正体: ヒッグスボゾンと暗黒物質

 理論を詳細に調べていく過程で、当初、私たちは驚くべきことを発見しました。クォーク・レプトンとゲージボソンだけが存在するとする理論では、なんと、ヒッグスボゾンが安定になるのです。これは、4次元の理論ではありえないことですが、高次元ゲージ理論では自然に起こりうるのです。対称性を自発的に破り、万物に質量を与えながら、同時に安定な粒子になってしまう。
 しかし、これは実験と矛盾します。ヒッグスボゾンは不安定な粒子として発見されました。このことは、クォーク・レプトン以外の 粒子が存在することを意味します。我々のゲージヒッグス統合理論では、ダーク・フェルミオンと呼ばれる粒子です。
 もう一つ、重要な観測事実があります。現在の宇宙には暗黒物質が満ちています。全エネルギーのうち我々が知っている物質で説明できるのは4%です。23%は暗黒物質で、残りは暗黒エネルギーといわれるもので説明されます。銀河内の星の運動や、重力レンズ効果、銀河生成のメカニズム、そしてWMAP/Planckによる宇宙背景輻射の観測から、暗黒物質の存在は疑う余地はありません。でも、何が正体なのかわかっていないのです。
 私のゲージヒッグス統合理論では、ダーク・フェルミオンが暗黒物質となることが帰結されます。WMAP/Planckの観測から 決められた現在の宇宙における暗黒物質の残存量から、ダーク・フェルミオンの質量が 2.3 TeV から 3.1 TeV で あることがわかります。これに対応して、光子やZボゾンの5次元目への励起粒子が 6TeVから 8TeV に出現することも 予言されます。 これから5年、10年の観測実験が待ち遠しいです。

9. 素粒子は10次元時空のひも

 我々の時空は4次元でなく、5次元目、6次元目があるというと、びっくりする人もいるかもしれません。でも、これはお話ではありません。重力の理論を超ミクロな世界まで適用できるようにしようとすると、どうも、10次元時空での超弦理論に行き着くのです。素粒子は、実は、ひも状で、時空の次元が10でないと整合性のある理論が作れないのです。素粒子論研究室の中の同僚には超弦理論の研究に打ち込んでいる人が何人もいます。
 私が研究している5次元のゲージヒッグス統合理論も、最終理論ではなく、ゆくゆくは超弦理論に組み入れられると考えています。実験的には、まず、ゲージヒッグス統合理論の予言を確かめるところから出発せねばなりません。

10. 究極の理論は存在しない

 日本では、よく超弦理論は究極の理論であると言われます。これは誤った認識です。物理には究極の最終理論というものは 存在しません。ガリレオ、ニュートンからアインシュタイン、そして、量子力学、素粒子物理、宇宙論と 物理は絶えず進化します。実験、観測、理論は同時に進歩し、その時々の発見、謎の解明、新しい謎の出現は 終わることがありません。

11. 研究室は自由たれ

 フロンティアの研究には挑戦が必要です。他の人にできないことをする能力と執念が必要です。学生も教員も自由な発想が求められます。私たちの研究室では、教員、研究員、学生がそれぞれ、独自に、或は、小グループを組んで、自由に研究活動に従事しています。